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オタ論における分断



俗には、萌えや秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることが多いことは周知ですが

「おたくとは何か」という定義は、未だに確立しておらず、その時々により、

また論者によりその言葉が意味するものが一定ではありません。



1983年に中森明夫が、「漫画ブリッコ」のコラムでコミケ(コミックマーケット)に集まる集団を

「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」や

「友達に『おたくら さぁ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」と評し、

「彼らをおたくと命名する」と蔑称・名詞として用い、

以後アニメ・SFファンはおたくを自認するようになった、と早期には解釈されていますが、
これさえも不定かな内容で俗説的の域を出ていません。


強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア・知識人・学者とあまりかわらず。

社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、

外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、

好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られます。

脱線すると、これは案外、(語弊を生む意図ではなく)現在のセクハラ判定にもつながる基準で
「本人が気持ち悪い」と思ったかどうか、が判定基準のようです。

概して、作品などについて評論など行ないそれが社会に受容されていれば

知識人・評論家と名乗ることも可能で、

決定的な差異はおたくは消費のみにとどまる、という点が示唆されています。

消費の種類も含めて、思う以上に重要な点に感じえます。










岡田斗司夫、宮台真司、大澤真幸などこれを語る批評家や社会学者は多いのですが

それを論壇上に意見展開するためのツールであるようにも感じたのは1990年台

からの深い感想で、むしろオタク間の分断が当時は深かった方があまり

注視されていなかったように思います。

例えばそれは、オタクと言わずとも一般的な方さえそういえばそうだと言えるかもしれない
1stガンダムに傾倒した前世代が、艦これ系などは良くわからないし何か嫌悪を感じて論外という感覚などで

こうしたものも良く考えると、骨董という分野におけるそれと

一部は似た部分があったりもします。










しかして今はそうした垣根(分断)を横断することで、既にかなり以前から新しい領域は
定着と安定を見せているのは誰もが感じている点で、
(言い換えるとネットバブル的なもの以降、新大陸に旗を立てることなど興味はない
自分を含めた多くの一般人が、最も価値の温床を手探りに見出そうとした方法かもしれません)

それは、マンガやアニメ文化の囲い込みを模索した「クールジャパン」とは

かなり異なるものにも感じ、
10年前の経済社会に区画放水できなかった伏流が全て表に出てきて新たなスタンダードを
ごく自然につくり、しっかりと入り込んでいる気がします。


許容するしないは否応もなく、この流れの浸透は間違いなく続くはずで
誰もが面白い時代に接しているように思い。



中森明夫がオタクと判じた時代は、分断に意味と経済が何故か動力を得たバブルという時代でしたが
(戦略国際ミドルとかそういった経済用語が飛び交ったのは
分断と無関係でもなかったような気がします)、
分断というキーワードが2016年代あたりから再び日本のジレンマなどでもよく取り上げられ、
的外れなのかもしれない論議もあったけど、論点を少し注意深く観たり
その後の批評家たちの論旨が、現象を捉えたものが多かったことは核心からやっぱり遠ざかりとはいえ、
さまざまな趣向を持つに至った2010年代の僕らが当時に遡ると
恐らくはほとんどがオタクと判じられるような気もします。


オタクという言葉がなくなる、または異なる通用をされる、
論じることにほぼ意味が無くなるような社会が、
案外近くまで来ている、またはもうそうなっているような印象です。


















































                       sori


# by sori-kobe | 2018-07-13 18:37 | 日々のこと

骨董とサブカルチャー、と夏

全くwebの更新を怠っていましたが、5月の能勢山中に続き
8月に神戸で行います。




先方(皆さん敏腕ですごいなと感じ)から何かテーマがあれば、と
お話しいただいたのですが話の当初は「特に無いようなです。すみません。」
と回答していたのですが、分かりづらい表現で言うと


“ 目の合う人。 ”


というような道具や骨董を展開できればと思っています。

分かり易く『サブカルチャー投影した骨董』という副題です。







まだテーマは仮打ちなのですが「言葉遊びがすぎる」との軽い白眼視や舌打ち、お叱りに平伏しつつの解釈は、
自覚なくサブカル的接点を結んでいる場合や人々は店主でさえ多いはずで(モノが好きな店主ほど習性として強くあるはずで)、
目立たぬ形でサブカルチャー化した骨董というようなものを自分なりにやりたいと思っています。





存外、骨董とサブカルが ある一面で蜜月関係にあることを、
古道具という ややもするとスノッブなまでに便利に酷使された言葉を一旦は忘れて
俯瞰いただければと感じています(しかしてこの十日間は古道具とも称し矛盾しますが、
それもまた80年代のサブカルが謳った、アイドルでありながらアイドルではない
といった宣言が当時は持て囃されたような伝統的手法の、2000年代以降の
露見をなぞるものかとも思います)。

エヴァンゲリオンが膨大なる引用の果ての集積産物であることはあらゆる研究によって周知で、
もののけ姫などは一層分かりやすい紀記や民俗学基礎論などのモザイク状引用の集積ですが、
サブカルを含むほぼ全ての文化的産物に引用の無いものは知恵の深化上無いはずです。







展示予定の暴走族のシックな特攻服と、同予定の江戸期襤褸のデストロイな野良着
(顕著にここ数年での浸食作用を無慈悲に受けたカテゴリにも感じる)を見比べると、
必然性の生んだクラフトであることは何れ間違いなく(このような対比展示はごく一部のみ予定ですが)。

結局、これらを見た者が情報を蓄積するのか一過消費するのか、それとも誤解するのか、
またはあえて情報という文脈を切る(これさえも恐らくは一つの編集行為でもあるわけで)のかが、
一つの分水嶺であることは確かですが、案外それだけでもないとも思っています。

主題を、誰もが経験する『初動』の興味と不安に絞りました。






サブカルチャーとは芥川賞的に対極にある(美や芸と入った時点で)「古美術」や「民藝」、
これらとも全く異なる隔絶した展示で良いと考えています。

続け様に書籍に例えると、文壇モノでもコミックでもないので表面的には面白くないものかもしれません。
喉越しは良さそうでいてそこそこ悪いです。
流行の先端線の一つである名店からのお声に心引き締まり、馴染みある神戸で鋭意頑張りたいと思います。













目下、品筋も告知案も仮打ちですので、活動の推移などは
web上にて詳細をお知らせできればと思います。




こういうテーマ展示を行うことは骨董や古美術の品位を下げるとお怒りの面もあるかと思いますが、
下げるを最も気にされているのが『業界的異物混入』と『相場感』という気付きもしないメタファであり、
またそれに影響はないはずで、ある一面を考察することに自身は恐れず邁進したくです。



恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
















骨董とサブカルチャー、と夏_b0296930_23495092.jpg





















電子上の情報化が進み、SNSを含めて(自分もしているわけですが)
情報量は人間が平素に対面する情報量の臨界をかなり以前から日々こえて流れるわけで、
批評家、民俗学者である大塚英志氏の研究の言を借りると
東北の民話などが分かりやすい例なのかもしれませんが、一人の人間が物語れる
物語りの限界は200~300であるそうです。





現実はこれを超える物語は映画だけでも膨大な量が制作され、
もはやどれがどれだかわからないままに情報可視が可能な現代の"量"においては
情報の作り手よりも聞き手の欠落さえ起きるわけで、
ならばひとまずは消耗に値する情報は(生命危機的な専門的や火急的な情報を除外すると)
ネット上ではそれが例えマッチポンプ的なものであれ「わかりやすさ」というものに
多くの人は好感して情報消費をするのかもしれません。







しかしながら、骨董や古美術において「わかりやすさ」とは何かと問われると
「美」というような歯が浮くフレーズは案外使われないもので
精神性という「わかりづらさ」が、分かろうとする「自発」という遊びに参加させる最低条件を
担保させてくるわけで、分かりづらい人間に何故か興味を惹かれることに等しく
その「何故か」の部分を実験的に掘れればと考えています。














結局、この文章自体がわかりづらく笑、
応して当店という情報はいつまでも一皮むけないわけですが
むける必要もないなと思ってもいますので
情報社会の中では生き残る可能性は極めて低く、現実社会の中の活動を
楽しく前向きに思う夏です。











sori













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# by sori-kobe | 2018-07-12 00:32 | 営業のお知らせ

ずいぶんとご無沙汰をしてしまい






あれこれと参加しているうちに告知間に合わずが多く
結局、更新がずいぶんと間が空いてしまいました。


いろいろ新しいことなど
また改めてお知らせをさせていただきたくです。


この夏、存外に白波多カミンのヴィレッジヴァンガード版Tシャツが少し欲しかったり
luteのENJOY MUSIC CLUB「夏の魔法」はMVはなかなか個性的でダメな人はダメだろうけど、
曲はなかなかに練られているええ曲だなあなんて思いながら、
summer jam95以来な夏らしさだなあなんて思いながら、
荷蔵(商品倉庫 兼事務所)で仕事していたりしている夏です。


みなさまも良い夏を。






そして、自分も地震等々で破損などいろいろあったのですが
このところ西日本を禍す災害に心傷みます。

災害に遭われた方々に本当に心と衷心より。

















sori、次回の催事予定は8月神戸、9月京都です。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。






                        sori

# by sori-kobe | 2018-07-11 16:10 | 日々のこと