吉野熊野国立公園の瀞八丁の断崖絶壁の上に佇む、 約100年の時代を重ねてきた大正期創業の「瀞(どろ)ホテル」。 絶景と歴史的な建物のクラシカルな魅力はもちろんのこと、味も美味しいと人気が高く、週末は多くの観光客の方々でにぎわっています。 オーナーご夫婦とは神戸時代より仲良くさせていただき、 今回、瀞ホテル創業時の日本の市井で活躍していた器たちを 大正戦前期、戦中期、戦後期と時代を追って展示。 商品の準備をお手伝いさせていただきました。 夏の行楽の機会に、是非ご高覧いただけましたら。 瀞ホテル 「創業時代の器展」 会期 ~2017年8月末日 会場 瀞ホテル 〈奈良県指定文化財〉吉野熊野国立公園内 在地 奈良県吉野郡十津川村神下405 https://ja-jp.facebook.com/dorohotel.jp/ 当時、「~旅館」や「~館」など和名の旅館がほとんどであった時期に この山々が重なるロケーションの中でホテルと冠した創業者の先々代は 非常に進歩的でモダンな方であったろうことがまず頭をよぎり、 当時の和食器を中心に展示するのではなく、世界的にみても驚くべき新技術が 数多く開発され、試され、実を結んだ「洋食器」にポイントを置いてみてはと 互いに話し合いが進み、商品の構成を行いました。 品々は硬質陶器や硬質磁器を織り交ぜた600点前後の展示となりました。 運営、陳列、販売等は瀞ホテルさんにて行っております。 精磁會社など華族向け製品から日本の国産洋食器はその誕生をようやく見ましたが (初期に下支えした旧伊万里・有田系の北九州磁器産業との関連は今回省いています)、 それが庶民の手に届き、なおかつ海峡植民地などへの海外輸出が可能となる 大量生産が日の目を見たのは、国内調達可能な高火度燃料である石炭を使用した 国内窯業者たちの石炭窯との決死の格闘があったわけで、 臨界火度の調整や燃焼室構造の改善もさることながら、添加釉薬の妙などもあり、 器の肌を著しく傷める燃料石炭内の硫黄成分の変異した硫化化合物との 血の滲むような格闘の末に、庶民の手に届く価格の品として大量生産に成功し、 硬質陶器は市井の地位をつくり上げました。 以降、旧九谷系の井出兄弟社や日本硬質陶器、対抗する森村(ノリタケ)傘下の東洋陶器や、 九谷系諸窯を抑え初焼成に成功した瀬戸系の村松硬質など、 金沢グループと瀬戸・九州グループの熾烈なライバル関係は 戦後まで卸筋までも巻き込み継続されます。 萌芽の大正から、戦前、戦時下、占領下、 そして窯数を考えると事実上の終息期と言ってよいかもしれない高度成長期前夜の製品まで、 硬質磁器を含め、癖の少ない分かりやすい品々を選んでみました。 表はジアンやマーストリヒトとは異なる儚い印象の東洋的要素が加味されており、 裏は高台周辺に当時の日本オリジナルであったろう苦労の跡が随所に垣間見れます。 骨董界ならず工芸界でも、現時点はメインストリームなカテゴリではありませんが、 これは換言すると、極めて短い期間につくられ、残存数が予想以上に少なく研究も進んでいない分野と言え、 一堂に会すること自体が珍しい器群で、将来的には目にすることがいよいよ少なくなる器たちに 自身は思います。 こうした前提を抜いても、時代を超えるため 人が採算を度外視して格闘した跡は美しく、 自身は日本人のモノづくりに対する創意工夫と実直さが詰まった好例に感じます。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。 sori
by sori-kobe
| 2017-07-01 18:14
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sori
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